マニアを馬鹿にするマニアにもなれない奴ら

今日はチョット過激なタイトル。
私は自分ではそう思っていなかったのですが、皆さんから「マニア」だと言われます。
先日お会いした秋田の由利高原鉄道の春田社長さんも「マニア」ですし、山形鉄道の野村社長さんも「マニア」のようです。
今、従来の鉄道業を当たり前にやっているだけでは立ちいかなくなるようなローカル線は、「マニア」の気持ちを持った人間でなければ将来を切り開いていくことができないような気がします。
では、「マニア」から見た「マニア」とはどういう人であって、「マニアじゃない人」はどういう人なのでしょうか。
昔から「木を見て森を見ず」と言う言葉があります。
細かいところにとらわれすぎて全体を見ることができないことを言います。
この言葉を逆手にとって、マニアは全体を見ることができない偏狭的だという人がいます。
でも、私はそうは思いません。
マニアという言葉には「狂人」というニュアンスが含まれますから私はあまり好きではなかったのですが、それは一般の、つまり「マニアにもなれない人々」から見たら狂人に見えるだけですから、そんな奴らの言うことは気にせず、最近ではよく使用することにしています。
結論から言うと、マニアというのは、まず森を見て、木を見て、枝を見て、その先の葉っぱの裏の葉脈まできちんと把握できる人だと思います。
鉄道を例にとってみれば、産業革命→蒸気機関車→テンダ機関車→D51→勾配線区→集煙装置・重油タンク→吉松機関区→肥薩線矢岳越え、と、こうなるわけです。
時系列でいけば、C62→特急「つばめ」→東海道本線電化→常磐線「ゆうづる」「はつかり」→常磐線電化→函館本線「ニセコ」「まりも」→梅小路 とこうなるのです。
この思考回路でいえば、テンダ機関車からは8620・9600・D50~C62までさまざまに枝分かれしますし、D51一つとってみても1115両も製造されたわけですから、集煙装置から重油タンクにクルクルパー(回転式火の粉止め)、はてはギースルエジェクターなどなど、配属された地区で様々な改造を受けて活躍しましたから、それを調べるだけで学問的考察になるのです。
最近は世の中の風潮として、こういう深い考察を嫌う傾向があり、マニアの皆様方に向かって、「格好悪い」「ダサい」「きもい」と言う自称イケメンたちが街を闊歩していますが、物事を深く考えることが自分にはできませんとお知らせして歩いているのですから、私にはそういう人たちが滑稽に見えます。
マニアといえば発祥の地は何を隠そうイギリス。
そのイギリスの会社に長年勤務することができた私は幸せ者です。
日本では小学生でもカメラを持って駅のホームや線路際でお目当ての列車の写真を写しますが、少し前のイギリスではカメラは高級品で、フィルムとか現像費を考えると大人でもなかなか趣味用に持てる人は少なかったですし、今では犯罪が多く、10代20代の人がカメラを持って歩いていればそれだけで狙われますから、イギリスで鉄道趣味に使用するのはもっぱらノートと鉛筆。そして小型の双眼鏡です。
彼らは「SPOTTER」と呼ばれていて、駅のホームで走り去る列車の先頭から最後尾までの車両の形式番号を書き留めて記録する。これがイギリス人の代表的な鉄道趣味。同じようなことをやっている仲間と出会うと、必ず声をかけて、お互いのノートを見せ合ったりするのです。
(昔、カメラを比べて自慢し合っていた日本の鉄道ファンとは根本的なところが異なりますが。)
まだコンコルドが普通に飛んでいたころ、私はヒースロー空港の滑走路のわきにある象さんのマークがついた駐車場で金網越しに飛行機を撮影していました。
その時、不意に「お前さん、そこで何してるんだ。」の声。
振り返ると制服を着た警備員がこっちを見ています。
「飛行機の写真を撮っているんだ。」と答えると、テロリストと間違われるから早く出ていけ、と言います。
「あと5分でコンコルドが着陸するんだから、それまで待ってよ。」とお願いすると、
「15分後にもう一度回ってくるから、それまでには姿を消してろ。」と言ってコンコルドの趣味を理解してもらったことがあります。
そのあと、空港周辺で、どこか飛行機の写真が撮れるところはないかと、ヒースロー空港の周りを10数キロ歩いて見つけたのが滑走路27Rの末端にある観音開きの鉄の扉に付いた錠前を開けるための約15センチ四方の穴。
次の日曜に10時発のニューヨーク行のコンコルドのアフターバーナーを撮ろうとその場所へ出かけるともうすでに先客が。
でもその先客は、2か所の扉の穴のうち、1か所を私に譲ってくれて、飛行機の写真を撮りながらマニア談議に花を咲かせました。
彼に言わせると、当時6機あったコンコルドのうち、今日は2号機のG-BOABがニューヨーク行のBA1便になるとの事。彼はやはり双眼鏡とノートとペン、そしてエアバンドのラジオが装備品のスポッターでしたが、ビデオカメラを持った私が「G-BAOBなら乗ったことがあるよ」、というと、逆立ちするぐらい驚いていました。
わずか15年ほど前のことですが、コンコルドはイギリスの人にとっても、すごい飛行機だったのです。
成田空港でもイギリス人の上司とマニア談議になることもしばしばで、全日空のトライスターがいよいよ最後で、ラストフライトがあるから鹿児島便に乗りに行くよと言ったら、上司も「俺も行く予定だ。」という。
私は鹿児島から羽田への便、彼は羽田から鹿児島への便というので、鹿児島空港で羽田行のトライスターに搭乗した時にクルーに聞きました。
「あの~、変なことを聞きますけど、羽田からの便で、40代で、ずんぐりむっくりした白人のおじさんが乗ってませんでしたか?」
最初は怪訝そうな表情だったキャビンクルーがニコニコ笑いながら、「はい、お乗りでした。」
どうやら、私の上司は飛行機の中でいただけるさまざまなものをいただいてきた様子。
私もL-1011が最後だと思ったので、本当はいけないのだけど、シートポケットの安全のしおりをGETして会社で彼に見せたところ、彼も大笑いしながら、デスクから同じ安全のしおりを取り出したのには笑えました。
(最近日本では客室乗務員のことをCA:つまりキャビンアテンダントと呼んでいるようですが、英語圏の人はCAなどと呼ぶことはなく、一般的にはキャビンクルーと呼びますから、知っておいてください。CAって呼ぶとマニアに思われますよ!)
そんな彼が私に尋ねたことで一番印象に残った言葉。
それは「おまえ、自分の車に名前付けているか?」ということ。
「イギリス人は車はもちろんのこと、自転車など自分の大事な持ち物には必ず名前を付けるんだ。」
この言葉には私も少し引きました。
「それってマニアのすることだよね。」
そう、イギリスは国民全体がマニアのようなところなのです。
「だって、日本人だって新幹線に名前付けてるだろう。」
そう言われてみればそうだ。
特急や急行に名前を付けるのは鉄道発祥の地、イギリス人から教わったことのようですね。
鉄道ファンの皆様、森を見て木を見て枝を見て葉の1枚1枚を見ることができることを誇りに思いましょう。
マニアにもなれないような奴らに、この困難な時代を乗り越えることはできないと、私は真剣にそう思っていますよ。
それでは、この話をご理解いただける皆様、いすみ鉄道でお待ちいたしております。
さて、ここで問題です。
私は今、新潟でこのブログをUPしていますが、私はなぜ新潟にいるのでしょうか?
答えがわかる皆様は・・・・・間違いなくマニアです!