急行列車という種別

国鉄時代から長年にわたり親しまれてきた「急行列車」ですが、今、JR線上から絶滅の危機に瀕しています。
現在、定期列車としての急行列車は「きたぐに」と「はまなす」ぐらいでしょうか。
数年前には「砂丘」「かすが」「くまがわ」「ちどり」など、ローカル線にも急行列車がいくつか残っていましたが、車両の老朽化もあって急速に姿を消してしまいました。
583系の「きたぐに」も秒読み段階に入っていると思いますので、本当に絶滅危惧種別と言えると思います。
特急列車が高根の花だった時代には庶民の足として、気楽に乗れる長中距離列車として、特急列車を補完する役割でたくさんの急行列車が走っていました。
例えば、新幹線開業前夜の東北本線では特急「ひばり」が上野―仙台間にほぼ1時間に1本の割合で走っていましたが、同区間に急行「まつしま」が何本も走っていて、特急の停車しない駅に丹念に停まっては庶民の足として活躍していました。
その急行列車には急行形と呼ばれる車両が使われていました。
直流区間には165系、交直両用車両では475系、455系、非電化区間ではキハ58系が国鉄時代を代表する急行形車両として全国的に活躍していました。
急行形というのは、出入り口が車両の両端にあり、客席と出入り口がデッキで仕切られている車体構造で、座席は向かい合わせの4人掛けボックスシートが並ぶスタイルが各形式共に一緒でしたので、急行列車では自然と知らない人同士が席を隣り合わせにして旅をするスタイルになり、それが旅の楽しみの一つでもありました。
先日、昭和51年3月に夜行の「津軽2号」に乗って友達3人で東北へ行った話をしましたが、その時もボックス座席の1席に出稼ぎから秋田へ帰るおじさんが同席して、一晩、一緒だったことを思い出します。
座れないときは、新聞紙を敷いて、通路に座り込むのも急行列車では当たり前のシーンでした。
その国鉄急行形車両も165系が消え、475系、455系が消え、そして最後に残ったディーゼルカーのキハ58系が、大幅な改造車を残して、通常車両は解体の時を迎えています。
いすみ鉄道のキハ52が遜色急行という形ではありますが、かつてのローカル線の花形だった急行列車のイメージを唯一今に伝える存在となってしまいましたが、そのことだけでも、私が社長になれてよかったのだろうと感じます。
(私が社長になれなかったら、私がやろうと思わなかったら、キハ52はいすみ鉄道には来なかったわけで、解体されるか、良くてもどこかで静態保存だったでしょうから。)
周遊券で旅行をするのが当たり前だった学生時代、特急列車は高嶺の花で、周遊券所持者は急行料金なしで乗車することができた長距離急行列車の自由席は、学生旅行の定番で、定宿でもありました。
昭和40年代から50年代前半にかけての、そんな時代にさんざん旅行ができた自分は幸せだったなあと、今、思います。
そして、この幸せを、何とか皆様方にも体験していただきたいと切に感じる今日この頃なのです。

[:up:]両国駅の列車ホームで発車を待つ急行「そと房」(昭和44年ごろ) 撮影は川上鉄道部長。経年劣化でネガがこんな状態でも大型HM付きの貴重な1枚。
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パシナ倶楽部は来年20周年を迎えますが、「丹後」「砂丘」「わかさ」「東海」「かすが」「ちどり」「くまがわ」「鷲羽」「日南」「錦江」といった急行列車や、「べにばな」「シーサイドライナー」「鳥取ライナー」「日南マリーン」などの数多くの国鉄急行形列車を記録に残すことができて良かったと考えています。
今では逆立ちしても撮れませんからね。
パシナ倶楽部のホームページでは、各列車の撮影データ(年月、時刻、乗車車両)なども記載していますので、ホームページは読み物としても面白い内容です。
是非ご訪問ください。
いすみ鉄道では余分な経費は一切使うことができませんので、皆様ご存じのように私は私費をブチ込んで活動しております。そのぐらいでなければ、新しいことなどできないのです。
パシナ倶楽部の売り上げが、明日のいすみ鉄道の動態保存車両の原資になります。
線路ははがされたら終わりです。
車両はつぶされてからではどうにもなりませんからね。
皆様どうぞよろしくお願いいたします。


工場で解体される国鉄急行形車両。