今日8月12日は1985年に日本航空のボーイング747形ジャンボジェット機が御巣鷹山に墜落してから40年です。
私は65歳ですから当時25歳。
仕事から帰って来てテレビでニュース速報が流れたのをはっきりと覚えています。
「羽田発大阪行日本航空機行方不明」
第一報はこうでした。
他のローカル路線ならともかく、羽田―大阪という幹線を飛行する飛行機が行方不明になるとはどういうことなのか。
我が耳を疑いました。
その晩はいろいろと情報が錯綜し、中には無事に不時着しているなどというものもありましたが、翌朝のニュースで御巣鷹山に墜落して燃えているJALと書かれた主翼が映し出されて、墜落したことを知りました。
この事故は520名という犠牲者を出したという点では大変衝撃的な事故ではありましたが、私は40年が経過した今でもマスコミ各社で大きく取りあげたらていることに関しては、なんとなく不思議な気持ちでいます。
というのも、この御巣鷹山の墜落以外にも日本では大きな飛行機事故がたくさん発生していて、それぞれの事故ごとに多数の人命が失われていて、その皆様にはそれぞれにご家族がいらして、御巣鷹山のご家族と同様に苦しんでこられているからです。
私が記憶にある昭和41年(1961年:当時私は6歳)以降に日本で発生した、あるいは日本の航空会社が海外で発生させた事故を上げてみましょう。(数字は犠牲になられた人の数)
なぜ昭和41年なのかというと、全日空機が着陸直前に行方不明になって、翌日羽田沖に墜落しているのが発見されて大きなニュースになっていたのを子供ながらに覚えているからです。
1966年
2月4日 全日空B727 羽田沖東京湾に墜落 133人
3月4日 カナダ太平洋航空 羽田空港着陸失敗 64人
3月5日 BOAC英国海外航空 富士山墜落 124人
8月26日 日本航空コンベア880訓練機 羽田空港離陸失敗 5人
11月13日 全日空YS11 松山沖墜落 50人
1971年
7月3日 東亜国内航空YS11「ばんだい号」 函館横津岳墜落 68人
7月30日 全日空B727 岩手県雫石上空で自衛隊機と空中衝突 162人
1972年
8月14日 日本航空DC8 ニューデリー墜落事故 86名
11月29日 日本航空DC8 モスクワ空港墜落事故 62名
1977年
1月13日 日本航空DC8貨物機 アラスカアンカレッジ空港墜落 5人
9月27日 日本航空DC8 クアラルンプール墜落 34名
1982年
2月9日 日本航空DC8 羽田空港墜落(機長の逆噴射が原因) 24名
そして1985年8月12日の御巣鷹山への墜落事故につながるのです。
また、御巣鷹山事故以降、日本の航空会社は死亡事故を起こしていませんが、日本国内で次のような事故が発生しています。
1994年
4月26日 中華航空A300 名古屋空港(現県営名古屋空港)着陸失敗 264名
1996年
6月13日 ガルーダインドネシア航空 DC10 福岡空港離陸失敗 3名
2009年
3月23日 フェデックスMD11貨物機 成田空港着陸失敗 2名
というように、日本の航空会社は関与していませんが、御巣鷹山事故以降も日本国内で搭乗者が死亡する事故が発生しています。
このような事実を考えると、40年前の御巣鷹山への墜落事故は日本の航空事故史上1つの事故であって、その他にも数百名の尊い人命が失われていることに対してマスコミは一切報道しないことや、世の中から忘れ去られていることに関して、私は疑問に思うのです。
日本航空の御巣鷹山事故は、520名という単独航空機の事故としては世界最大の事項であること。(世界最大の航空機事故は1977年3月にスペイン領テネリフェ島で発生したルフトハンザドイツ航空とKLMオランダ航空のB747ジャンボ機同士の衝突事故、583名)
墜落前の約30分間飛行機が迷走していたこと。
その間に遺書をしたためる乗客がいたこと。
墜落から救助までの時間が長すぎて生存していた多数の乗客が救助までに絶命したこと。
当時一世を風靡していた写真週刊誌「フォーカス」「フライデー」を始めたくさんの報道機関が遺体の生々しい写真を掲載したこと。
などなど、様々な点でそれまでの航空機事故と違っているところがありましたから、40年が経過した今でもマスコミが取り上げるということは理解できるのですが、私としてはこの事故以外にも日本でたくさんの方々が命を落とされていて、その方々にもご家族がいて、事故後に苦しい思いをして生きて来られているということを考えると、御巣鷹山だけが取り上げられることが腑に落ちないのです。
ただし、事実として御巣鷹山事故以降、あれだけ続いていた日本航空、全日空などの航空機事故が激減し、死亡事故が発生していないことは特筆すべきことですし、この事故で犠牲になられた多くの皆様方の命が無駄になっていないということは、本当に尊いことだと思います。
事故を風化させないことは将来への教訓として大切なことですが、風化させてはいけないのは御巣鷹山だけではなくて、それまでに発生したたくさんの事故すべてだと私は考えています。
ちなみに、私がいた航空会社は上にも書きましたが、1966年3月5日に富士山で乱気流に巻き込まれたB707が墜落し、124名が犠牲になるという事故を起こしています。
羽田発香港行の飛行機でしたが、乗客に富士山を見せるために低空で富士山の周囲を旋回したために、山岳派と呼ばれる乱気流に巻き込まれたことが原因のようですが、その当時はこの山岳派の存在がはっきりと解明されていませんでした。
この事故を契機に研究が重ねられて、高い山の周囲には乱気流が発生するということがわかり、それ以来同様の事故は発生していないようですが、私の先輩で若いころこの事故の担当をされた方がいらっしゃいまして、その方は定年退職をされるまで富士山の太郎坊というところへの慰霊登山を毎年されていらっしゃいました。
それだけ、事故を起こした側の責任というものは担当者にも大きな責任を感じさせるものですが、40年という時間が経過すると、日本航空の職員としてこの事故を経験した人もほとんどいなくなります。
先日、広島長崎の被爆者がゼロになる日が来ると報道で言っていましたが、航空事故の教訓そのものをどうしたら風化させないかは今後の大きな課題だと思います。
そういう意味では御巣鷹山の事故は「最後の墜落事故」ですから、この事故を風化させないことが教訓を後世に伝えることになるのかもしれません。

▲今日、墜落があった時刻に静岡の家の前から空を見ました。
あの日はちょうどこんな感じの夕暮れだったことを思い出しました。
交通機関に従事する身としては、常に身が引き締まる思いです。
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