大井川鐵道が100周年を迎えましたが、これはこの鉄道を支えてくれた先輩方の努力のたまものだと私は考えます。
鉄道というのは365日が仕事です。
その休みなく動く列車の運行をたくさんの先輩方が支えて来てくれました。
そういう鉄道マンたちの絶え間のない日々の努力によって今日があるわけですが、その数多くの諸先輩方の中で、特に大井川鐵道に大きな貢献をされたのが白井昭さんだと思います。
白井さんは名鉄から大井川鐵道に派遣された方ですが、モータリゼーションで鉄道の輸送が減っていく中でいち早く観光鉄道化への転換を図り、蒸気機関車の復元、運転を開始された方です。
今でこそ、観光鉄道という考え方が一般的になりましたが、当時は「観光なんて遊びだろう。」という時代でしたから、いろいろな反対意見も多かったと思いますが、先見の明があったんでしょう。大井川鐵道はSLの動態保存の先駆けとして、かれこれ50年も前から観光鉄道化を行って来て、今日があると私は考えます。
その白井昭さんですが、100周年を待たずに2月26日にご逝去されました。
昭和2年生まれですから97歳でした。
私は、大井川鐵道の100周年に多大な貢献をされた白井昭さんの功績を皆様方に知っていただこうと考えまして、新金谷駅前のプラザロコの館内に白井さんの追悼コーナーを設置してもらいました。




この追悼コーナーには鉄道ジャーナル社さんはじめ、各社さんにもご協力いただきました。



鉄道ジャーナル1976年5月号に掲載された金谷駅に到着したC11227を迎える白井さんの後姿です。
この1枚の写真も追悼コーナーに展示してありますので、皆様どうぞ新金谷駅前のプラザロコにお立ち寄りください。
今日から101年目。
今日の大井川鐵道を築いた先人たちのご活躍に敬礼したいと思います。
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