日曜日にEL急行に乗車しましたが2両編成の客車のうち、前の客車にお客さんが多く乗っていました。
オハ35+スハフ42の2両編成で、乗客が多かったのはオハ35の茶色い客車です。


▲皆さんが好んで乗車されるオハ35の車内
オハ35⇒35系客車
スハフ42⇒43系客車
スハフ43⇒44系客車
大井川鐵道には主としてこの3つの系列の旧型客車が活躍しています。
前に連結している茶色のオハ35は戦前戦中の昭和10年代の製造の車両です。
後ろに付ているスハフ42の43系客車は戦後の昭和20年代の製造です。
貴重さから言えば戦前のオハ35の方が貴重ですね。
ニス塗りの木目の車内は雰囲気を出すために蛍光灯も白熱灯色にしていますから、レトロ感としてはこちらの方が良いでしょう。
昭和40年代には客車は用途で分けられて使用されるようになっていました。
私の記憶では茶色い方の35系客車はどちらかというと普通列車に使用されていて、田舎の方ではローカル列車で良く乗りました。
これに対し、スハフ42の43系客車は今はトーマスに使用するためオレンジ色に塗られていますが、当時は青色の客車で、上野発の夜行列車に代表されるような長距離急行列車に使用されていましたので、私としては同じ乗るのなら35形よりも43系の方がお得感があるという印象です。
普通列車用のキハ52と急行用のキハ28が2両編成で走っていたら、どうせ乗るならキハ28の方に乗るでしょう。
急行用のクハ455と普通列車用の413系が編成を組んでいたら、455の方に乗りたいでしょう。
昭和の時代に実際にそういう列車に乗ってきた身としては、2両繋がっていたら迷わずスハ43系の方に乗るのです。

▲オハ35の座席です。

▲スハフ42の座席です。
上が普通列車用で下が急行列車用。
違いが判りますか?
テーブルは昔は両方付いていたのですが、今はオハ35の方にだけ残っています。
座席の違いとしては、上のオハ35は直角ですが、下のスハフ42の方は背もたれの下半分が少し肉厚になっているでしょう。腰当てのようになっていますから、座り心地が良いのです。
上の方は窓際にひじ掛けがありませんが、急行用の下の座席には窓際にひじ掛けがあります。
そしてそのひじ掛けが35系客車は水平ですが、43系客車の方は少し斜めになっていて、座席に座ってひじを置いた時に心地よくポジションが決まるようにできています。
窓側にひじ掛けがあるのは急行用車両の一つの特徴で、キハ52とキハ28でも同じですし、455と413でも同じ。
当時の規格としては急行用と普通列車用で違いがあったのだと思います。
また、背もたれの角に四角いものが付いていると思いますが、これは立っている人用の手すりであり、座っている人が頭を持たせられることができる機能を持つ当時としては優れもののデザインです。
ということで私は2両ついていたら迷わず後ろのオレンジ色のスハ43系に乗車したのです。

大井川鐵道ではもう一種類、写真のスハフ43という客車があります。
今、検査切れで休車になっていますが、この車両が実は歴史上貴重なもので、何が貴重かというと、昭和20年代に特急「つばめ」として東京と大阪を結ぶ最優等列車用として作られた車両だからです。
当時は東海道本線には一部非電化区間があったため、通しで走れるのは機関車を取り換えることでどこへでも行かれる客車列車でした。
特急「つばめ」はその当時の国鉄の花形列車で、その後、電化により電車特急「こだま」、そして新幹線へと移行していくのですが、この車両は「つばめ」から東北方面への「はつかり」になり、最後は国鉄の末期まで、四国で使用されていました。
その後日本ナショナルトラストが取得し、大井川鐵道で保存しているのです。


特急用座席ですからこんな感じ。
今は向かい合わせに固定されていますが、2人掛けのロマンスシートとして使われていて、少しリクライニングしているのがおわかりいただけると思います。
この座席の形状が1972年に183系特急電車がデビューして窓側と通路側の座席が独立してリクライニングするまでの特急の標準座席でした。
スハ43系客車がスハ43と車掌室が付いているスハフ42。
スハ44系客車はスハ44と車掌室が付いているスハフ43。
ちょっとややこしいですが、これが当時の国鉄の客車系列で、大井川鐵道に残っているスハフ43は44系(特急用)客車ということになります。
ということで、大井川鐵道ではこの3種類の客車が黒いSLに引かれて3両編成で走っていましたので、そういうことを知る人にとっては実に興味深い文化的遺産が現役で走っているのであります。
(今、44系のスハフ43は検査待ちですが、検査を通して復活予定ですのでご安心ください。)
さて、戦前型の茶色い35系客車よりもさらに古い客車を先日見つけました。
喜多方へお邪魔した時に熱塩の日中線記念館で見つけたオハフ61です。


これはすごいと思いませんか?
背もたれが木ですから。
モケットが貼ってありません。
このオハフ61は60系客車と言って、大正時代から昭和初期に製造された木造客車の車体を鉄板に張り替えて車体更新した鋼体化改造車と呼ばれるもの。戦後、大きな列車事故が発生した際に木造客車で強度が無く、多数の人命が失われたことから急遽鋼体化された車両で、もともとは木造車ですから、車内は木の香りがプンプンです。
実はこの車両、定員がその後の35系客車よりも8名多い96名。
私、子供の頃、上野駅で見る客車は横から見るとドアからドアまでの窓が11個(トイレは除く)でしたが、両国から出る房総へ行く客車は横から見ると窓が12個。
不思議だなあと思っていたのですが、何のことは無い、シートピッチを狭くして横1列座席を増やしているんです。
だから、35形が88名定員に対して60系は96名。ボックスシート2つ分8名定員が多いのです。
ということは当然ですが座席が狭いので、詰め込み式で座っていて乗り心地が悪い。
どういうことかというと、上野発の列車に比べて両国発の千葉方面の列車の方が古くて座席が狭く古くてグレードが低い客車だったということで、つまり当時の国鉄の「千葉」の取り扱いが、上野、東京、新宿発の各方面に比べて格下だったということです。
大多喜に居た時にお世話になった浅野さんという方が、この方は私より10才ちょっと年上の方ですが、東京の大学へ通われていました。
休みの際に家に帰る時に、東北や上越方面から来ている友人たちを見送って両国駅から千葉へ帰る汽車に乗るわけです。
昭和40年ごろの話ですが、友人たちが乗って行った列車は車内が蛍光灯で電気機関車が引く列車。自分が乗る列車は煙を吐いた機関車が先頭に立つ白熱灯の列車。
薄暗い車内を見渡すと、乗っているおじさん達も赤銅色した垢ぬけない労働者風の人たちや行商人ばかりで、「俺は、なんて所へ帰るんだろうか。」と悲しくなったとおっしゃっていましたが、昭和30年代から40年代にかけての千葉は、私も記憶していますが、そういうところだったのです。
その千葉からSLの煙が消えたのが昭和45年。(新小岩機関区無煙化)
その2年後には東京地下駅から新型特急が走り出したのですから、昭和の高度成長時代の日本はそれだけ大きく変わったということですね。

熱塩に保存されているオハフ61は日中線で昭和50年代まで使用されていたものですが、こんな鎧戸の客車が今でも残っているのですから、喜多方はありがたいところだと私は思います。
ということで、大井川鐵道だけでもこれだけ歴史的に意味のある客車が残っているのですが、この客車をある時、種村直樹さんという作家の方が全部ひっくるめて「雑客」と表現しました。
いろいろな形式があって、きちんとした系列になっている客車を、雑多な客車として「雑客」と呼びますと言われましたが、私は確か高校生か大学生ぐらいでしたが、その「雑客」という表現がどうも気に入りませんでした。
「あぁ、この先生は鉄道車両に対する愛情が基本的に欠如しているんだなあ。」
そう思って、それからというもの、彼の書いた書物を読んでも、その文章に奥深いものを感じなくなったのであります。
というようなことを、EL急行に1日揺られて考えたのであります。
50年も前のことが特に調べもせずにスラスラと出てくるのですから、本当に不思議です。(間違っているところがあったら読み飛ばしてください。)
これが鉄道の楽しみだと私は思いますし、これができる人ならば別にSLけん引にこだわらずに大井川鐵道の客車列車を1日たっぷりお楽しみいただけるのではないかと思います。

さて、あなたはどちらの車両がお好みでしょうか?
今度の週末、大井川鐵道でお待ちいたしております。
最近のコメント