宮古のラサ工業
津波で大きな被害を受けた岩手県の宮古市。 私が最初にこの町を訪れたのは、今から35年前の昭和51年(1976年)3月のことです。 高校受験が終わって卒業前に中学校の友達と3人で、ラサ工業の構内入換え用に残っていたC10と…
津波で大きな被害を受けた岩手県の宮古市。 私が最初にこの町を訪れたのは、今から35年前の昭和51年(1976年)3月のことです。 高校受験が終わって卒業前に中学校の友達と3人で、ラサ工業の構内入換え用に残っていたC10と…
前回のブログでご紹介したこの写真について、せっかくですからもう一度、詳しくお話します。 国鉄形気動車は(特急用は別として)、急行形と一般形の各系列を混成して列車の編成を組むことが可能でした。 房総地区の列車も、電化前は、…
中学3年生の娘が勉強もしないでテレビばかり見ている。 うちには5人も子供がいて、上の3人は東京の大学に行って、何とか成人してくれて、彼女はその4番目だから、親ももう「勉強しろ」と言わない。 1人か2人の子供を一生懸命に育…
前回の循環急行「みさき」「なぎさ」に続いて電化当時の外房線の話。 房総電化が完成し、東京地下駅から「わかしお」 「さざなみ」が発着するようになったときに小学校6年生だった私の目から見ると、確かに新型の183系特急電車や、…
房総特急の陰に隠れてしまい、意外と知られていないのが急行列車の 「みさき」 と 「なぎさ」。 昭和47年7月の房総電化、東京地下駅開業で、「わかしお」「さざなみ」という特急列車が走り始めたのは皆さまもご存じのとおりですが…
夜汽車の中でほとんど眠れぬまま函館についた木村君と私は、もっと眠りたい、と2人の意見が一致し、とりあえず、また列車に乗ることにした。 乗車したのは松前行の急行「松前」。江差へ行く急行「えさし」と併結されていて、途中の木古…
翌朝、白老のユースホステルで目を覚ますと、朝食を済ませて近くにあるアイヌコタンを見た。 こういう民俗村には興味がなかったけど、歩いて行かれるところだったので、とりあえず行ってみた。 民族衣装を着たおばさん達の踊りを見てい…
私の著書 いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略 には高校2年生の夏休みにバックパックをしょって北海道へ旅行したことを書きましたが、その時の旅行の詳しいお話です。 八ヶ岳へ文化祭の8ミリ映画を撮りに行ったのが7月下…
総武流山電鉄に出かけてしばらくすると、夏休みに入った。 高校2年生の夏休みは部活に文化祭の準備、そして北海道旅行と実に多忙を極めた。 秋の文化祭の行事にクラスで何かやらなければいけないという課題があって、同級生の高瀬君と…
お前の昭和の思い出は電車しかないのか? もう少し色気のある話をしろ。 そういう声が聞こえてくる昨今であるが、「青春イコール鉄道」と思われるのも癪だから、そうでないという証拠をお話せねばなるまい。 これは本には書いていない…
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