キハ52を導入するときに、当時のベテラン運転士さんたちが皆さん言ってました。
「コメ不足が怖い」って。
最初は何のことかと思ってたんですが、よく話を聞いてみると、ブレーキに使う空気のことらしいということがわかりました。
どういうことかと言うと、駅の手前でブレーキを使うと車両のタンクから空気が抜けてしまいます。
次にブレーキをかけようとしても空気が足りなくなる。
コンプレッサーで空気を作るためにはエンジンを回さなければならないようで、でも、もう止まるのにエンジンを回すことはないから、止まるまでに空気を込めることができない。
これをつまり「込め不足」と言うらしい。
私は列車の運転をしたことがないので、「ふ~ん、そうなんだ」としか理解できませんでしたが、ベテランの皆さんは若い人たちに教えるときに、いつも「コメ不足には気をつけろ」と口癖のように言っていたことを、昨今の「米不足」のニュースを聞いて思い出しました。
この間、久しぶりにカミさんに会ったら、開口一番
「お米が高くて困っちゃうわ。」
つまり、生活費が足りませんということなのでしょう。
まぁ、彼女的には私の顔は財布のように見えるのかもしれませんね。
でも、久しぶりに会ったのにそれは無いだろう、と思うのは私だけかもしれません。
だから、男は甘いと言われてしまうのでしょう。
それはさておき、その米不足ですが、5kgのお米が4000円を超えて、5000円に近付いているらしい。
政府が備蓄米を放出しているのに、なぜコメの価格が下がらないのか?
JAが隠しているのではないかとか、財務省が悪いとか自民党が悪いとか、ネットでは皆さんいろいろと言っているようですね。
でも、いったいどうして?
で、気になったので私、計算してみました。
1人1日2合の米を食べるとします。
朝昼晩ですから、平均するとそんなもんでしょう。
宮沢賢治は1日米4合食べると言ってましたが、今の時代は自分を考えると2合ということにしておきましょう。
1合150グラムとして、2合で300グラム。
これが日本人が1日に食べる米の量とします。
日本人を1億人と仮定します。(実際には1億2千万人ですが、計算しやすくするため)
1人300グラム×1億人で、いくらになりますか?
0.3Kg×1億=3000万Kg
ということは、3万トンです。
日本人が1日に米を3万トン食べる。
で、政府が放出した備蓄米は2か月で21万トンです。
1日3万トン食べる国民に対して、2か月間で21万トン。
60日間で7日分です。
日本人は60日間で180万トンの米を食べるのに、21万トンですから、つまり、必要量の12%にしかなりません。
しかもその備蓄米はタダではありません。
お金を払ってJAや業者が購入するわけです。
例えば、21万トンの備蓄米がもしタダだったらどうでしょう。
簡単に言えば米の価格は12%下がります。
5Kgで4000円の米が3520円になります。
タダだとしても、下がる米の価格はこれだけです。
いくらで払い下げているかは知りませんが、5Kg1000円としても4000円の米が3700~3800円程度でしょう。
劇的にコメの値段が安くなるというにはほど遠いのです。
だから、私としてはJAが隠しているとか、自民党が悪いとか、そういうことじゃなくて、まず第一に21万トンという政府の備蓄米の放出量が焼け石に水程度ではないかと思うのです。
そこへもってきて外食産業があるでしょう。
そして人口統計に出てこない外国人旅行者や居住者がいる。
となると、もう、米そのものが絶対的に足りないということなんですよ。
だから外国から輸入しろという議論になるかどうかは別問題ですが。
というのも、私の世代は親が戦争経験者です。
今年は戦後80年ですから、80歳以上の人でなければ戦争を知らないことになります。
でも、戦争当時5歳以下だった人たちはたぶんはっきりとした記憶にないでしょうから、85歳以上の人じゃなければ戦争の実体験がない。
戦争経験者が極めて少数派になったと同時に、物を言わない世代になりました。
私は戦後15年の昭和35年生まれですから、当時の大人たちは皆さん戦争経験者した。
子供のころからとにかく
「食べ物を粗末にするな」「好き嫌いなく何でも残さず食べろ」
と親をはじめ、周囲の大人たちから常に口うるさく言われて育ちました。
私の父は東京の渋谷で生まれましたが、戦争が激しくなってきたのでおばあちゃんの実家である勝浦へ疎開しました。
10歳ぐらいの時だったと思います。
田舎でしたから、当時でも食べるものには困らなかったようですが、それでも、好きなものを好きなだけ食べられる生活ではありません。
実家が漁師なので、ある時私が聞いたんですよ。
「海に出ればいくらでも魚が獲れるでしょう。」って
そうしたら爺さんたちが、
「お前なあ、海に船でも出してみろ。艦載機がやってきたらイチコロだぞ。」って。
「ああ、そうか」って私が言ったら、みんなで大笑いしたことを覚えています。
おばあちゃんは野菜が嫌いな私の顔を見て、いつもニコニコして「無理して食べなくったっていいんだよ。」って言ってくれましたが、ある時、こんなことを言ってました。
「お前のお父さんが小さい時、『母ちゃん、トンカツってどんなんだい? トンカツの話をしてくれよ。』って、そう言ったことがあってね」
私の父は末っ子でが、兄さん、姉さんたちは東京にいたころ、トンカツはもちろん、いろいろおいしいものを食べた経験がある。
でも、父は10歳過ぎた頃から「欲しがりません勝つまでは」の世の中になってしまったので、ごちそうを食べた記憶がなかったのです。
その話を私は今でも覚えているぐらいですから、よほど衝撃的だったんでしょうけど、というのも、その頃私は小学生でしたが、自分の父が小学生のころどうだったかという話を聞いたものですから、まぁ、よく言われるように「世界にはご飯を食べたくても食べられない子供たちがいっぱいいるのよ。」的なお話ですが、おばあちゃんはおばあちゃんなりに、婉曲的に私に好き嫌いせずにちゃんと食べなさいと教えてくれたのだと思います。
だから、私が若いころ、50代、60代の人たちは評論家も国会議員も官僚の人たちも皆さん食べ物がなくなることに対する反射的な恐怖感がありました。
野坂昭如さんとか、永六輔さんなども、皆さんすでに他界されてしまいましたが、彼らは二言目には「食料は自給できなければ駄目だ。」「食べ物ぐらい自給自足しなければ国家として危うい。」というようなことを言っていたのです。
でも、戦後80年が経過して、そういう体験を身をもってしてきた人たちが居なくなって、次の世代の人たちが主流になってきました。
おそらく50代以下の人たちは、そんな話を実感する人は少数派でしょう。
で、その食糧である米を貿易取引のカードの1つに使うようになってきた。
今はそういう状況なのではないかと思います。



ではなぜこんなことを考えたのかと言いますと、実はこのところ地元の掛川駅が凄いことになっているのです。
近くのエコパスタジアムで、何とかという韓流グループがライブをやるということで若い女性たちが大挙して押しかけてきています。
新幹線が到着すると駅構内が規制がかかるほど混雑しますが、駅前広場が大混雑なので、改札を出ることもままなりません。
駅前はスタジアムへ行くバスに乗るための行列が広場を往復しています。
30分経過するとまた次の新幹線が到着しますから、人の数がどんどん増えていく。
聞くところによると大型バスが50台、60台投入されて会場とピストン輸送しているようですが、スタジアムの収容人数は5万人。50人乗りのバスが50台でも2500人ですからね。
何往復もしなければならない計算です。
つまり、人間の数に対して絶対的に輸送の供給力が足りないんです。
1日に3万トン米を食べる国民に対して、2か月で21万トンの備蓄米放出ってどうなのよ。
と、まぁ、この地元の状況を見て、そんなことを思ったのであります。
ネットで皆さんがいろいろと言っている内容の根拠はよくわかりませんが、私は今回の米不足に関してはJAが隠しているとか、自民党が悪いとか言って感情的になるのではなくて、もっと皆さんで食料を自給することの重要性を考えた方が良いのではないかと思います。
てなことを言う人間も、もう古い人種になってきているのかもしれませんがね。
食べるものは大事だということは、世代を超えて共通のことですが、私の世代から見るとパニックになるというよりも、「あぁ、子供の頃、大人たちが言ってたことはこういうことなんだ。」と思うのであります。
自国民が食べる食料をきちんと確保することが、政治の一番大切な安全保障だと私は考えます。
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