静岡県というところはおいしいものの宝庫だと思います。
それは何も海産物やフルーツなどばかりではなくて、駅弁ひとつとってもおいしい。
まぁ、お金を出せば何でもおいしいんですけど、安い駅弁でもおいしいなあと思います。
新幹線に乗るとき、ちょうどお腹が空いている時間だと東京から帰ってくるときはシウマイ弁当ですが、東京へ行くときはこのお弁当を買うことにしています。
10月に、東海道新幹線開業60周年を記念して特別に当時を復刻した掛け紙で登場した静岡駅の東海軒さんの幕の内弁当です。
これ、素朴にうまいので、よく買うのです。
で、この復刻版の掛け紙を見て思い出したことがあります。
それはこの部分です。
お願い:空箱空びんなどは腰掛の下にきちんとお置き下さい。
この文です。
そう、私が子供の頃、つまり昭和の時代は弁当の食べ殻などは座席の下に置いておくものでした。
特急列車などは別でしたが、ふつうの客車はデッキが狭くてゴミ箱などありませんでした。
だから、長距離列車になると車内はゴミだらけでした。
特に終着駅間際の夜行列車。
朝、寝ぼけ眼でトイレに行こうとすると通路のごみを踏んでいく始末でした。
昭和51年(1976年)に上野の日本食堂で食堂車と車内販売のアルバイトをしましたが、特急列車が上野駅に到着すると車内はゴミだらけ。
弁当の殻や缶や瓶などばかりでなくて、発売されたばかりの週刊誌や漫画が読み終わってそのまま座席の上に捨ててあるのです。
学生アルバイトだった私たちがお客様が降りた後の車内を歩きながら「おっ、今週号のジャンプだ」とか思ってその雑誌を拾おうとすると、乗り込んできたおじさんたちに「おい、ダメだ! それは俺たちのものだ!」と怒鳴られるのです。
車内清掃の係のおじさんたちです。
たぶん国鉄の退職者の再雇用のおじさんたちだったと思いますが、当時の国鉄の定年は確か55とか57ぐらいで、まだ60まで行ってませんでした。
今の私よりも若い人たちだったことになりますが、そういうおじさんたちが発売されたばかりの週刊誌や漫画を拾い集めているんです。
ゴミ掃除をする人と雑誌を集める人の係が違っていました。
で、そのおじさんの行動をよく見てると、きれいな本、そして発売されたばかりの本を集めているんです。
一旦手にした雑誌でも汚かったり、先週号だったりすると捨てていく。
それをゴミ当番のおじさんが他のごみと一緒にして大きなカゴね。竹でできたような四角いカゴに紐をつけて引っ張りながらごみを入れていくんですけど、そのカゴに放り込んで通路を移動していくのです。
で、上野駅の改札口を出て信号のところへ来ると、路上に雑誌を並べて定価の半額ぐらいの値段で売ってるおじさんがいて、それも新刊雑誌ばかり。
昨日今日発売されたばかりの雑誌を半額で売ってるわけだからそこそこ売れてるんです。
「なるほど、そういうことか。」
その頃私は高校生でしたが、商店街育ちでしたからすぐそのシステムを理解しましたね。
体の良い言葉で言えばリサイクルですけど、簡単に言えばゴミですからね。
車内清掃の国鉄OBの小遣い稼ぎになっていたのです。
そういう時代を生きてきた私としては、今の日本人はお見事というほどに立派になりましたね。
終着駅に着いても車内にはゴミ一つ落ちていませんし、座席のリクライニングもきちんと定位置になっている。
昭和の人間としてはそこまでする必要あるのかなと思いますけど、とにかく素敵です。
これが飛行機になるとレガシーキャリアと呼ばれる赤組さん青組さんだと到着後の機内は結構散らかっている印象がありますが、LCCになるときれいですね。
ほとんど散らかっていない。
まぁ、機内サービスが無いに等しいですからドリンクの紙コップなど出るはずもなく、ブランケットも座席に放置していない。
ていうか、LCCの場合は到着前にキャビンクルーがゴミを拾い集めて清掃していきますからね。
折り返しの時間が短いし、コスト削減で地上の清掃スタッフが乗り込んでくる空港も少ないでしょうから自分たちでやらなければなりません。
そして、レガシーキャリアに比べると乗客に若い人たちの比率が高いからかもしれません。
いずれにしても、電車も飛行機も昭和の時代とは比べ物にならないほどきれいになりましたので、私は日本人は進化したなあと心底思うのであります。
昭和のお爺さんお婆さんたちは若い人たちに笑われないようにしないといけませんね。
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