昭和の悪ガキ2人組

板橋区を走る環七が東上線の下を通って板橋本町へ向かうところに「土佐っ子ラーメン」という夜間営業のラーメン屋さんがありました。
夕方からお店を始めて終夜営業して早朝に閉店になるお店で、私はそこで1週間だけアルバイトをさせてもらったことがあるんです。
昭和54~55年頃だったと思いますが、当時はまだコンビニなどほとんどない時代でしたし、今のようにあちらこちらでファミレスやラーメン屋など24時間営業のお店が深夜でも煌々と電気をつけて営業している時代でもありません。
「夜は寝る時間」という考え方が一般的な時代でしたが、10代後半ぐらいはとにかく夜寝るのがもったいなくて、中学生のころはせいぜいラジオの深夜放送で文化放送の「セイヤング」や「オールナイトニッポン」を聴いていたのが、18にもなると原付バイクで友達と一緒に夜遊びをするようになりました。
夜遊びといっても可愛いもので、原宿にある吉田拓郎の歌に出てくる「ペニーレーン」というお店に通ったり、歌舞伎町にうどんを食べに行ったり、銭湯帰りにそのままラッタッタに乗って出かけるぐらいでしたが、板橋に住んでいると新宿といってもバイクで20分ぐらいですから、特にお酒を飲むわけでもありませんので、行動半径としてはちょうど良いエリアだったわけです。
そんな時、平凡パンチか週刊プレイボーイか何か雑誌で「終夜営業の店」という特集があって、今思えばそんな特集が組めるほど終夜営業が少なかったわけですが、環七沿いにある「土佐っ子ラーメン」というお店が出ていて、意外に近くだったので、友達と風呂上りにひとっ走りしてラーメンを食べに出かけたのです。
そのお店はカウンターだけの作りでしたが、私が驚いたのは、夜遅い時間帯なのに混んでいて順番待ちができているんです。そして先にお金を払って割り箸を渡されると、今食べてる人の後ろで待ちます。5~6分して前の人が食べ終わると、自分の番になるわけですが、ちょうどその時にはラーメンができていて、実に効率よくお客さんをさばく「システム」になっていました。
食券の販売機もなく、今のように自分の注文品ができるとボタンがブーっと鳴って教えてくれるわけでもなく、割り箸1本でお客さんをさばくシステムが私にはとても新鮮というか驚きで、店内に「アルバイト募集」と出ていたので、一週間でよかったら働かせてくださいと事情を話して働かせてもらったわけです。
一週間というのは、当時他のバイトを持っていましたし、学校もあるし、だいいち夜中の仕事は興味はあるけれど、学生の身でそこにどっぷりと身を置きたくない気持ちでしたから、自分自身で期間を決めて、未知の世界のシステムを勉強しようと考えたのですが、ラーメン屋さんの裏側というのはとにかく面白くて、土佐っ子ラーメンは今でこそ見かける「背油チャッチャ」の走りのような存在でしたから、普通のラーメンと違ってとても興味があったのです。
お店の社長さんというのはフランチャイズ化を目指している方でしたから、大学生のバイトが店を仕切っていて、社長というのはそれをコントロールするのが仕事で、ラーメンの命であるスープなどは社長が家で作ったものを今日お店で使う分だけポリタンクに入れて持ってきていました。
当時バイトのチーフだった人が、「社長は絶対にスープのつくり方は教えてくれないんだ。」と言っていたのが印象に残っていますが、社長さんは私にも「うちで2~3年働けば店持たせてあげるよ。」と言ってくれていましたので、そうしていたら別の人生があったかもしれませんね。
ところで、なぜ35年も前のそんな話を思い出したかというと、不思議なご縁で知り合った都内のある大きな会社の副社長さんが、実は私と同じ年でご出身は東京の北区王子。私が住んでいたところから裏道を使うと歩いても20分あれば行かれるところに住んでいらして、お互いに生きてきた時代、場所、そして悪ガキだったところも一緒なものですから、いろいろ話をするうちに意気投合して、「土佐っ子ラーメン」の話で、「あそこは深夜よく行ったなあ。」、「私、バイトしてたことあるんですよ。」、「ホントかよ。割り箸持って待たされる店だぞ。」、「そうそう、そのシステムを内側から見てみたくて一週間だけ頼み込んで働かせてもらったんですよ。」とまあ、会ってお酒を飲むたびにこんな会話で盛り上がっています。
あの頃、絶対にどこか近所ですれ違っていたよね。
そんな方が今いすみ鉄道を応援してくれているのですから、世の中本当に不思議なご縁を感じるのであります。

[:up:] 都内大手産業廃棄物処理会社 都築鋼産 の副社長、都築基さん。
産業廃棄物というと今の時代原発関連を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうが、例えば新しく建てかえるために解体される古いビルから出た廃材や、廃車になった鉄道車両や自動車が大きなはさみのような重機で細かく切断されていますが、そういう解体部品を分別処理して再利用を促進するなどもメインの仕事で、エコロジーと資源の再利用に貢献する縁の下の力持ちのようなとても大切な仕事なんです。
かつて、北区、板橋区で同じ時代、同じ悪ガキだった2人ですが、今では立派に社会のお役にたっているのではないでしょうか。
この写真はとてもおいしいフランス料理を食べに行った時に撮った1枚。
都:「あのさあ、この料理おいしんだけど、ワインじゃなくて焼酎あるかなあ。」
鳥:「無いと思いますよ。せいぜいハイボールぐらいでしょう。」
都:「なんだか疲れるよなあ、こういう店。」
などと言いながら写してもらったのです。
二人の前に並んでいるコリンズグラスがそのハイボールですが、今度は焼酎と焼き鳥にしましょうね。
二人合わせて108歳。身長も体重もほぼ同じの、昭和の悪ガキの成れの果てでございます。